「自分は過少評価されている。」
こう書くと、「ああ、自信家の嫌な奴だ」とか、「社会の厳しさをわかってない奴だなあ」とか思われるかもしれません。
でも、こう思うことってたまにありませんか? 私はあります。
こう思う原因って何かと考えると、一番に思いつくのは、
評価の基準があいまい
ってこと。
例えば、まったく同じセグメントにセールスを仕掛けるとします。
(セールスのことわからず書いてます。ごめんなさい。)
その時に売上の差ができたら、それは納得できると思うんです。
でも大体は、担当範囲があって、担当ごとの特徴も違う、前任者から引き継いだとかっていう状況もそれぞれ違うと思うんです。それを一律の「売上」という基準だけで評価するのってどう考えてもフェアじゃないのではないかと思ってしまうんです。
技術職の人だってそうなんだと思います。たまたま運よく良いプロジェクトにアサインされたから評価されることだってありますよね。
そういう不公平を埋めるために客観的な指標(公的な資格など)や、仕事ぶりを近くで見てきた人からの評価も勘案しているケースもあると思いますが、埋め切れていないのが現状なのではないかと思っています。(客観的な事実がないです、はい。)
プロ野球選手もそうですよね。
1アウトランナー2塁の場面。
- A選手は「最低進塁打だ」そう思って、セカンドゴロを打った。その後ワイルドピッチで1点入って試合に勝った。こういう積み重ねで、3割打てそうで、打率は結局2割9分。
- B選手「三振してもOK」そう思って、ヒットを打った。1点入って試合に勝った。こういう積み重ねで、打率は3割。
おそらく、いずれのケースもその時点では、監督から「よくやった!」と言われるかもしれませんし、監督の中での評価は同等かもしれません。
でも契約更改で、監督よりも上位?の経営層に言わせると(打率1分の差が妥当かは別として)、「A選手は2割9分で、B選手よりも結果が出ていない。だから君の査定は、B選手よりも低い」と言われる可能性が高いでしょう。
これって妥当な評価って言えるんでしょうか。
「近くで見てる監督から何とか言ってよ!」と言いたいけど、「俺には給料を決める権限はないんだ。すまない。」って言われるのがオチですかね。
こういうフェアじゃないことって、世の中には溢れてると思いますけど、最近、そういうことが気になって仕方がない。。。
「誰から見ても文句のない、とび抜けた成果を出すんだ!」というマインドになれないあたりがダメなところなんでしょうね。
このブログのタイトルも、こういう自分に言い聞かせる意味でも「とにかく、ひたすら」にしているのに。はい、反省します。
ひとまず、こんな本を見つけたので、秋の連休、読書の秋ということで、読んでみようかと思います。