とにかく、ひたすら

普段の生活で考えたことを「とにかく、ひたすら」書きためていきます。主に読書感想、ライフハック、英語学習や野球を扱います。

監督は選手たちが試合にかける想いを知っている

「残酷ショー」としての高校野球(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

まずは、純粋に、一生懸命にプレーしたことを、「良く頑張った!」って言ってほしいですね。彼らは決してショーをやってるわけじゃないです。

 

プロ野球選手の元高校球児の意見ではなく、普通の元高校球児の意見を聞いてほしい

日程に関する改善案については賛同します。ぜひ高野連にも検討して欲しいです。

 

上記記事の著者の主張ではないですが、球数制限については改めて私は反対です。

球数制限の案に賛成しているのは、一般の高校球児でしょうか。あるいはごく一般の高校球児だった大人でしょうか。

 

そうではないと思っています。

プロ野球の桑田氏が賛成しているという話を取り上げているように、プロ野球の世界に携わっている人の意見ではないでしょうか。

こうした人たちの発言が重いのは理解しますが、プロ野球の世界に飛び込んだ元高校球児の意見よりも、ごく普通の元高校球児の意見を取り入れてほしいです。そういう人たちの方が大部分を占めるわけですから。

 

現場の監督は、選手たちが試合にかける想いを知っている

私も元高校球児ですが、プロの世界とは遠い一般の高校生にとっては、肩肘が壊れても投げ抜きたい、全国大会というのは、それほどのあこがれの舞台だと思います。それくらい大事な試合なんです。

また、多くの高校球児は、肩肘が壊れる犠牲と同じくらい、それまでの人生で遊ぶのを我慢して青春をかけてきたんです。全国大会ではなくても、県予選であっても、そこにかける想いというのは、それくらい重いものなんです。

 

それを知ってるからこそ、現場の監督たちは、「選手が投げたいと言っている限りそれを取り上げられない」という思い達するのだと思います。

 

選手が「もう投げられない」と言っているのを「投げろ」というような監督は許せませんが、「まだ投げられる」と言っているのを「投げるな」と言えない監督を私は批判できません。

 

なので、「自己責任論は無責任だ」という意見には賛成できません。上記のような背景があることをぜひ知ってほしいです。

 

※補足

ここまで書いてきたことは、「もう投げられない」と言えるような、選手と監督の関係というのが大前提です。(済美高校の上甲監督がどういう方かを知らないので、個別の件については何とも言えません。)